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駄菓子菓子
e0087225_22313977.jpg 夕方、ベランダに出て冷たい空気を吸い込むと、何だか懐かしい臭いがしたような気がした。その臭いの記憶が蘇らせる情景は小学生の頃良く通った駄菓子屋の店内。甘い砂糖菓子と埃と古びた建物の臭い。いったいベランダに流れてくる何の臭いに似ていたのか、近所の手入れの行き届かないペットの臭いだろうか。
 子供の頃、母親は私が駄菓子屋に足繁く通うのを面白く思っていなかったようだ。だいたい駄菓子という物は不衛生で、使っている材料も体に悪い物ばかりだというのだ。確かに子供たちの手は汚く店内も決して衛生的と言える物ではなかったが、それでも駄菓子が原因でお腹をこわした子はいなかったと思う。
 テレビコマーシャルや店頭には「除菌」「抗菌」の文字があふれている昨今。何をするにも良く洗ってから。確かに伝染性の細菌には手洗いは欠かせない対抗策なのだが、少しばかり煽りすぎの感もある。ちょっとぐらい不衛生に育った方が、強くたくましく育つような気もするのだが、うがった見方だろうか。
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by marshM | 2013-02-20 22:44 |
体の記憶
e0087225_21223922.jpg 秋の日が暮れていく。わずかに肌寒く乾燥した空気と、茜色と言うよりは橙色に染まる空。郷愁を誘う色と肌触りだ。
 郷愁と言っても生まれ故郷を思い出すのではない。秋に旅したスペインの空、地中海の風だ。夕暮れのコスタ・デル・ソル、宵闇のグラナダ・アラブ人街、ジローナの不思議な祭り。頭が覚えていなくても体からじわりと記憶が引っ張り出される。
 そして夕焼けの記憶に引きずられるように思い出すのはイタリア、ミラノの石畳。何年も何十年も使われてきた石畳はすり減り、斜めに差す夕日を鏡のように照り返す。あれは春の日だったが、やはり乾燥して少し肌寒い日だった。
 次にヨーロッパを訪れるのはいつの日になるか。今度はどんな感覚が体に染み込んでくるのか、予定も立たないうちから楽しみでしょうがない。
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by marshM | 2012-10-25 21:37 |
タンバリンギャラリーのこと
e0087225_0414466.jpg タンバリンギャラリーを知ったのは私に個展を勧めてくれたカメラマンの友人からの紹介だった。それではと出かけてみると、立地も雰囲気もよく一発で気に入り、あれよあれよと言う間に個展の日にちまで話が進んでしまった。
 何よりも良かったのは、久しぶりにアートの現場と言った雰囲気にひたれたことだろう。タンバリンギャラリーは学生の頃から知っているスペース・ユイともつながりがある。出入りするのは一線で活躍する芸術や編集の関係者。こんな環境で血が騒がないほうがおかしいと言うものだ。
 個展の準備中に昨年春に若くして亡くなった、タンバリンギャラリーの立ち上げにもかかわった永井宏さんを顧みる展示会がスペース・ユイと共同で開かれた。永井さんの作風は独特で、どこかで一度は目にして記憶の片隅にその印象を残しているものばかり。作品一つを見るたび、話一つを聞くたびに、どうしてもっと早くこのギャラリーと出会わなかったんだろうと残念に思うのだ。
 それでも、タンバリンギャラリーができたのは2010年、ごく最近のことである。そして、私が自分で面白いなと思えるような作風を作れるようになってきたのもごく最近のこと。遅い様でいてちょうどいい時期に、なるべくしてめぐり合えたのかもしれない。
 ギャラリーの高橋キンタロー氏、山崎直幸氏に「ここをホームギャラリーだと思って」と言葉をいただいたのがとても印象に残っている。もちろん、毎年ここへ帰ってくることを目標において、作品を作りためようと新たな目標ができたことは言うまでもない。
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by marshM | 2012-03-29 23:59 |
名医
e0087225_1185264.jpg かかりつけの歯医者。私が子供のころから通って、今も東京から横浜まで1時間かかって診てもらっている歯医者。浮気したことは一度も無く、歯医者嫌いになるほど下手ではなく、あの薬の入った色とりどりのガラス瓶が置いてあった少しお気に入りの場所。
 時は流れて歯医者もハイテクを導入するようになり、レントゲンは即座にモニターに映し出され、アニメーションで施術が説明される。器具も超音波や無針注射で患者の苦痛が極限にまで抑えられるようになった。だが、その待合室は心なしか子供の頃より空いているように思えた。
 帰りに気をつけて風景を見ていると、近所には数件の歯科医の看板。いつの間にか商売敵が増えたようだ。
 母親世代が慕って通った大先生ももう引退していない。何から何まで移り変わる中で、それでも私は馴染みの扉を開けるのだ。信頼とはそういうものだろう。
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by marshM | 2011-10-24 23:59 |
夜のゴルフ練習場
e0087225_0474544.jpg 日が沈んだ後の、ねっとりとまとわりつく様な湿度の高い空気の中をスクーターで走り抜ける。暗闇の中に明るく浮かび上がるのはゴルフの打ち放し練習場。ぼんやりと浮かび通り過ぎるその映像に過去の記憶が呼び覚まされる。
 私はゴルフはやらないのだが、私の父は大分凝っていた様で、週末となると大きなバックを担いで練習場に通っていた。いつ頃だったろう、小学生か中学生の頃だろうか、夏の夜に何度か練習について行った事があった。ゴルフに興味があったわけではなく、父が練習をしている間明るく照らし出されたネットの周りを歩き回るのだ。そこらの雑木林からクワガタやカブトムシが飛んできてはいないかと探していたのだが、見つかるのは古ぼけた蛍光灯に巣をかけた蜘蛛ばかり。じっとりと汗ばむ空気の中ぼんやりと蜘蛛が巣を張るのをいつまでも見つめていた覚えがある。
 あれからずいぶん時間がたって、年老いた父はゴルフをやめてしまった。青い光の中を蜘蛛がゆっくり時を刻む様に糸をかける記憶だけが残った。



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by marshM | 2010-08-01 23:59 |
通学路
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 実家からの帰り道。昔高校へ通うのに自転車で走った細い尾根道を強引に車で走ってみる事にした。2kmほどの距離を信号なしでショートカットできるので、特に土曜日のショッピング渋滞が懸念される時間帯には効果的だと判断したのだ。
 自転車で走っていた頃は半分舗装していない獣道のような所だったが、今では社宅団地や雑木林が建て売り住宅に変わり道路も整備されている。相変わらず車一台がやっと通れるくらいに細い部分はあるが、抜け道に使う車もいないのでさっさと通り抜けられた。
 三年間雨の日も雪の日も通い詰めた道はさぞ思い出にあふれているだろうと思っていたが、案外何も思い出さなかった。自転車で通った道はサドルにまたがった高い視点でないと違う物に見えるのかもしれない。あの団地の風景と共に自転車の思い出も遠い彼方に封印する時なのだろう。



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by marshM | 2010-05-08 23:59 |
春だけでなく
e0087225_1505233.jpg なぜ、南の島ではなくてイタリアなのか。何だか納得いかなくて一日考えた。
 あれだけ一年中夏だ夏だと思っていたのに、イタリアに行ったのは春だった。寒い時期にひとっ飛びで夏に飛び込める南の島の、そのイレギュラーな季節感がとても好きなのだが、この日本とさして変わらぬ季節感覚で目に映るもの全てが石畳の欠片に至るまで異質な物であるという落差が、イタリアが自分の心をガッチリと掴んで離さない理由なのだ。
 言い換えればそれはスペインでもボスニアでもギリシャでも良いのだが、イタリアには以前から並々ならぬ思い入れが(特に食に)あったし、季節の旬を大事にしている点で身近に感じる所に以前訪れたスペインに比べて少し分があると思うのだ。
 夏は毎年巡り、イレギュラーな夏はいつでもそこで待っていてくれる。しかし、同じ季節を違う物に写すイタリアの地、其処に帰りたいと思ってしまうのだ。春だけではなく、夏も秋も冬も。



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おまけ
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by marshM | 2010-03-24 23:59 |
あの春
e0087225_11213472.jpg イタリアに行ったのは去年の春、もうすぐあれから1年が経とうとしている。
 ここのところあの乾いた風の中で過ごした日々をよく思い出す。フィレンツェの整然とした街並み、ヴェネツィアの裏道に射す光と水面の反射、ペサロのゆっくりと流れる時間、ミラノの広々とした空間。しっかりと目を見開いて耳を傾けて過ごしたはずなのに、見えなかったもの聴けなかった物がたくさんあり過ぎる。帰ってきたからこそわかる奥深さ。
 どこへ行っても最後に帰るのは南の島だと思っていたのだが、イタリアには記憶をしっかり掴んで離さない何かがある。記憶が薄れていく自分を許さない何かがある。


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by marshM | 2010-03-23 23:59 |
夜空への想い
e0087225_204731.jpg 高校生の頃、天文部に入ったのは星空を見るためだったのか、それともUFOを探すためだったのか、今となっては忘却の彼方だ。それでも未だに夜晴れていれば星を見上げ、天体ショーがあると聞けばニュースをチェックする。
 後どれくらい時間をかければ人類は隣の惑星にたどり着けるのか。SFの世界では2010年と言えばコンピュータが反乱を起こし木星が消滅している年だ。生きているうちに星に行く船は見られるのだろうか。



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by marshM | 2010-02-19 23:59 |
焚き火
e0087225_117717.jpg 家を出た時に気が付いたのは焚き火の匂い。またどこかで野火を焚いている。いつものような強烈な匂いではなく、キャンプで火の番をした後脱いだ服から立ち上る位のかすかな匂いだ。
 車に乗って買い出しに一周りしてくると、北斜面に広がる畑の真ん中を通る道からモウモウと煙が立ち上っている。多分火の番をしている人の車だろう、火元のそのすぐ側に置いてあるので事故を起こした車が燃え上がっているように遠目には見える。バイクなら一目散にその道を目指して駆け抜けるところだが、あいにく私有の農道なので車は通行できない。
 まだ横浜がG30(ゴミ削減30%)を打ち出す遙か前、私が子供だった頃は、町内会で共有地の草刈りがあると決まって刈った後の草をその場で焚き火にして処理していた。悪のりする大人たちは、どこかからホワイトガソリンを持ってきて生木に強引に火を付けてモウモウと煙を上げていたのを記憶している。町内会の行事であり、まだ環境に大しておおらかな意識しかなかった頃だ。
 そんな姿を幼い頃から見て育ったからか、キャンプやバーベキューに行けば決まって火の当番にしゃしゃり出る。手際よく火を付けそれを保ち、真っ黒な炭にちろちろと赤い光が走るのを子供のようにじっと眺めるのだ。真冬のキャンプはそれでも体が火に当たっていない側からしんしんと冷えるので敬遠してしまう。焚き火が限られた人の物となった今、おおらかな火に当たるという感覚はそうそうできなくなってしまった。



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by marshM | 2010-01-18 23:59 |